ああ、勘違い

 国立で2コマ。昼食に街道沿いの食堂に寄る。1月の末に卒業生のS子に会った、例の食堂である。あの後も何回か寄ってはいるが、行くたびにどうも居心地の悪さを感じるようになっていた。
 うるさいのである。
 その店はいわゆるカフェテリア方式になっていて、好きなおかずを次々にお盆に載せながらぐるりと歩き、最後に会計をするのだが、カウンターの向こう側の保温ケースに入っているおかずは店員が渡してくれるしくみになっている。カウンターの向こうには5〜6人の店員がいるだろうか。その人たちが次々に「お好きなおかずをお申し付けくださーい」「○○はいかがでしょうかー」「本日のおすすめは△△でーす」などと叫び、玉子焼きの注文が入ると全員で「ありがとうございまーす」と叫び、揚げ物が切れているといってはまた叫び、客が来れば「いらっしゃいませー」と輪唱し、帰れば「ありがとうございましたー」と合唱し、とにかく店員が始終叫んでいるのである。S子に会ったときはそんなことはなかった。ここ数か月の変化なのだ。
 地元のコンビニエンス・ストアにも勘違いのはなはだしい店があり、そこでも店員が常に何かしら叫んでいる。「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」「フライドチキンはいかがでしょうかー」「新製品の□□はいかがでしょうかー」と、ここではソリストに続いてすべての店員が唱和するしくみになっている。ある日、少々熱っぽかったときにうっかりその店に寄ってしまい、頭がガンガンして暴れ回ってやりたい衝動に駆られたものだ。
 この食堂にしろコンビニにしろ、どうにも「活気がある」ということと「騒々しい」ということの区別がついていないのではと思われてならない。今はたたんでしまったようだが、文京区の白山に小さな天ぷら屋があった。そこの親父さんは無愛想な人だったが、「いらっしゃいませ」「お待ちどうさま」「ありがとうございます」という必要最小限のことばのタイミングに狂いがなく、その声の調子とことばのリズムが店内に活気と同時に引き締まった空気を生み出していた。僕はその空間に身を置くことが好きで、時々ではあったが食べに行ったものだった。この食堂やコンビニはその対極にある。みんながみんな元気に振る舞ってはいるが、言ってしまえばどれもこれも無駄でしかない。
 さて、今日の話。そのうるさい食堂で、「お好きなおかずをお申し付けくださーい」と言われたから「カレイのおろしポン酢」を頼んだのである。すると、間髪を入れずに返ってきたのは「少々お待ちくださーい」という一言。何だって。最近、あちこちの飲食店でこの「お待ちください」という店員のセリフを耳にするが、そういうときは「ありがとうございます」とか「かしこまりました」とか「はい、ただいま」とか言うものだ。他の客が注文しているところに口をはさんだとか、会計の列に割り込んで話しかけたとか、そういうときならば「少々、お待ちください」と言われても仕方ないが、注文しようと思って店員を呼んで、どうしていきなり「待て」と言われなければならないのか。今日にいたっては「お申し付けください」と言われたから注文したのに、「待て」だ。
 で、それほど待たされずに受け取った「カレイのおろしポン酢」には、魚の身にも添えられた大根おろしにも嫌というほどポンズがかけられていた。店員は手渡しながら「ポン酢が足りないようでしたら、調味料コーナーにありますのでどうぞ」と一言。飯が喰いたいだけで、ポン酢が飲みたいわけじゃないって。そのポン酢のじゃぶじゃぶがこの店のこだわりで、これ以外に考えられないという分量のポン酢がかけられているというのならば、好みではないけれど黙っていただくことにしよう。しかし、足りないなら足せと言う程度の加減で(実は大量の)ポン酢をかけているのならば、僕に「引く」自由を与えてくれてもいいのではないか。
 帰って来てグズグズとこんなところに書き付けるだけというのは嫌だから、アンケートに答えて同じ趣旨のことを書いてきた。会計の時に、レジの店員が「お願いします」と言って用紙をくれたのだ。その種のアンケートに答えることなど滅多にないのだが、頼まれたのだから答えてきた。
 その食堂は美味しいのでまた行きたいのだが、どうなることだろう。時間を置いてもう1度出向き、それでもうるさかったら僕には合わない店だとあきらめることにしようか。