教えることは学ぶこと

 なんとか今日から通常の仕事に戻る。のどはすぐににかれてしまうし、高い声で話すことはできないが、1週間前を思えば奇跡のようだ。ちょうど1週間前の月曜日の朝には、本当にささやくようにしか話すことができなかったのである。もはや自分に残された仕事は、ドッキリ番組でアイドルの寝起きをレポートするくらいしかないのではないかと真面目に思った。


 さてさて。今日の2コマでは、映画『天使にラブソングを』の残りを最後まで見た。最近は洋画を(映画館でも)吹き替えで見る人が多いと聞くが、そうなると授業で映画を扱うことの意味も少なくないことになる。
 映画で使われていたことばに関する学生の感想に以下のようなものがあった。

「ありがとう」ということばには「Thank you」だけではなく違う言い方があるんだなって思いました。

 この学生は日本語の字幕を読みながらしっかりと英語を聴いていたのである。このあとは、感謝を表す英語の表現を増やすという方向に持って行ってもよいし、英語を「訳す」とはどういうことなのかを考える方向に持って行ってもよいと思う。いずれにしても、学生が自分で気づいたということの意味は大きい。
 映画の内容に関する感想には以下のようなものがあった。ここにも興味深い「気づき」がある。

人殺しをするような人でもシスターを撃つことはためらうのだと思いました。

 ここに紹介した以外のすべての感想文に目を通し、これまでの学生の残した感想とも合わせて考えたとき、体育大学の学生から得られる感想のうち特徴的だと思うのは次の2つだ。

  • 歌を身体表現の一部ととらえ、生き生きと表現するさまを見聞きして受けた感動をことばにしたもの
  • 力を合わせて一つのことを成し遂げる素晴らしさを、自分自身の競技スポーツと重ね合わせて表現したもの

 教師がすべての受け皿を用意できているわけではないことをあらためて思い知らされる。そういう驚きやよろこびを感じることは、授業をすることの楽しみのひとつである。