蕎麦屋の掟

 その日、僕らは浅草の老舗と呼ばれる蕎麦屋にいた。隣の席には、大店の三代目といった風情の男が3人ほど。まだ日も高かったが、わさび芋やら焼きのりやら板わさやらで飲み始めていた。
 そのうち「どうする、どうする?」「そろそろいいんじゃないか」など、ひそひそと話し始めたのだが、どうやら意を決したらしく、男のひとりが若い店員を呼んだ。
「お兄さん、ちょっと。」
ひと呼吸置いて、周囲に視線を送った後、
「抜き、いいかな。天ぷらで。」
 天ぷらそばや鴨南蛮そばなどのいわゆる「種もの」からそばを抜いたものを「抜き」と呼ぶ。どんぶりにつゆを張り「天抜き」ならばそこに天ぷらを浮かべた状態で供される。天ぷらを食べては酒を飲み、つゆに口をつけてはまた杯を重ねるのである。そばはそばで、締めとして新たに注文し直す。そういうものが存在することは噂には聞いていたが、実際に注文されるのを耳にするのは初めてだった。
 店の空いている時間を狙い、お店の人の同意を求める形で注文する。美しい。品書きにないものを求めるときには、実にこうありたいものである。僕は得心した。しかし、それ以来、幾度も蕎麦屋に行き何度も酒を飲んではいるものの、いまだに「抜き」を頼んだことはない。そばを抜いても値段は一緒という理不尽な価格設定の前に、心が折れてしまうのである。もともと品書きにないものなのだから、仕方ないといえばそれまでなのだが、粋人への道は遠い。
 それでも、神田の「まつや」で焼き鳥の「塩焼き」を頼むときは、
「あ、お姉さん。焼き鳥、ください。」
ひと呼吸置いて、周囲に視線を送った後、
「塩、いいですか?」
このように注文できるようになった。
 ずいぶん前のことだが、その「まつや」がテレビの『出没!アド街ック天国』で取り上げられたとき、天ぷらそばからそばを抜いた「天抜き」が紹介されていた。たまたまその次の週に秋葉原に出向く用があり「まつや」に寄ってみたのだが、塩の焼き鳥で一杯やっているとひとりの青年が入ってきた。
 テレビを見てきたのであろう。座るなり、
「天抜きをください。」
と言う。お店のお姉さんは注文を受けながら少し困った様子で、
「天抜きは、おそばが入ってないのよ。お腹は大丈夫?」
と尋ねる。戸惑う青年に対し、
「うちはご飯物もあるわよ、親子丼とか玉子丼とか。ふつうのご飯もあるけど。」
と畳みかけると、結局、彼は「天抜き」と「ご飯」を注文したのである。酒も飲まずに、天ぷらそばからそばを抜いたものを食べ、さらに白いご飯を口に運ぶ青年。蕎麦屋へ何しに来たんだ。何とも罪作りなテレビ番組ではあるが。
 さて、いまだに「抜き」を注文できない自分だが、機会があれば頼んでみたいものがある。それは、おかめそばからそばを抜いた「おかめ抜き」だ。湯葉、松茸、かまぼこ、だし巻き、店によっては伊達巻、椎茸、筍、三つ葉に麩。無粋と言われても構わない。僕にとって、おかめこそが「種もの」の王者なのである。こればかりは譲れない。
 粋人への道は、やはり遠い。


今日の話題に関連した日記:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080312/1205328881