親鸞の誕生日はいつでしょう

 花まつりの集いで所属寺へ。お勤めのあと住職の法話。何度もうかがっているはずなのだが、今日は、曽我量深師の「大乗は釈尊以前の仏教である」ということばを引かれた部分に引きつけられた。釈尊を絶対化しないという壮大でしかも冷静な歴史観に揺さぶられる思い。
 お昼の宴でビンゴゲームで大いに盛り上がったあとは、上方の桂文鹿さんと、江戸の柳家小権太さんを迎えて落語会。文鹿さんの二席目は「お文さん」という真宗のお寺にふさわしい演目だった。あまりかからない噺かと思いうかがったところ、文枝師が得意にされていたとのこと。いつかもう一度味わってみたい。
 夜は根岸に繰り出す。飲みつつ話すうち、「ばらえてぃ・テレビファソラシド」「ヤングタウン東京・桂三枝の大放送」「山口百恵のもももも30分」「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」と、いろいろなことを思い出す。「先生、私、先生のこと知ってるんですよ」---そんなことまで思い出した。忘れようとするから思い出す。自然に任せることができるか、そこが問題なのだ。