幻のちくわ課長

 今日はこの後夜遅くから、マレーシアに赴任する大学時代の友人M君の送別会。M君は大手水産会社に勤務しているが、大学時代から船員手帳(いわゆる海員免許)を持っていた人で、船に乗ることと海外で仕事をすることが入社当初からの希望だった。
 これまでもいろいろなところへ仕事で出かけたようだが、ある日、コレクトコールで「こちらはKDDです。ただいま北洋上のM様からお電話がかかっておりますが、お出になりますか」という電話がかかってきたときにはさすがに面食らった。M君は数の子やイクラの買い付け等のため、ロシア人労働者を監督しながら北洋を航行した帰り道だった。もちろん、喜んで電話には出たが、話し始めてみるとどうもうまく会話ができない。無線通信なので時差が生じるのかと思ったら、向こうは船の無線機を使っているため双方向通信ができないのだとのこと。それで、こちらも受話器を握りながら一言話すごとに「どうぞ」ということになった。
「そろそろ日本に帰りますが、何か変わったことはありませんか。どうぞ。」
「そうねえ、ま、これと言って変わりはないけど。どうぞ。」
 こんなくだらない会話を無線の要領で進行するのである。なんだかおかしい。面白さも手伝って、10分も話しただろうか。
「では、帰ったらまた連絡ください。気をつけて。どうぞ。」
「ありがとうございます。どうぞ。」
「じゃ、そちらで切ってください。どうぞ。」
「こっちじゃ切れないんです。どうぞ。」
「え? 何でよ。どうぞ。」
「そちらで切ってもらえないと、つながりっぱなしになっちゃうんです。どうぞ。」
 彼によれば、船上の無線が先に遮断してしまうと、回線がつながった状態のまま受け手である僕の側に課金されてしまうのだと言う。そんなこともあるのかとこちらから切らせてもらったが、思い返すと本当のことだったのか不安にさえなる不思議な経験だった。
 当時のM君は「北洋事業部魚卵課」に配属されていた。入社当初は「えび事業部えび第一課」だった。
「えび事業部には二課、三課とあるの?」
「三課はないけど、代わりに『甘えび課』があります。」
「へえ。じゃ『甘えび課長』っているんだあ。」
「それで驚いちゃいけませんよ。『練り物事業部』には『ちくわ課』があるんですから。」
 友人であるM君には、ぜひともそこの配属となってもらいたかったが、間もなく組織の改編があり、その課は消滅してしまったとのこと。直接関わりのない会社のことだが、「ちくわ課」と印刷された名刺をもらってみたかったな。


 なお、僕が常に横柄なものの言い方を続け、M君がことばを崩さないのは、卒業は同期だが入学は僕の方が早いという「複雑な」事情によるものです。あしからず。