花を飾る思い

 成蹊高校まで借りていた資料を返しに行く。出来成訓先生の『日本英語教育史考』ほか。この本は自分で持っていたのに人に貸してしまい、急に必要になって成蹊から貸してもらったのだ。だいたいそんなことばかりやってるわけだな。ハンドルを握りながら、千川通り、善福寺公園、石神井川。どこもソメイヨシノは満開だ。土曜日とあって、人出もかなりあった。
 帰ってからは学会の事務に忙殺される。紀要の一件は、新しい業者にお願いすることができたので、週明けにも編集作業が再開される見通し。今回も、学会のネットワークの強さと事務に明るいメンバーの多さに助けられた。感謝感激である。
 昨日は銀行のご都合主義にいらいらする一日であったが、3年前の7月に亡くなった伊藤先生のお墓をお参りすることもできた。船橋の駅からそう遠くないところに、先生のお寺はある。

 教徳院裕学善道居士

 僕らには見慣れぬスタイルの「戒名」だが、先生の人生のさまざまのことが象徴的に示されたお名前だとも感じる。うちのお寺でいつも見慣れているお墓とちょっと違うなと思ったら、手を合わせながらずいぶんと墓石を見上げねばならないデザインであった。花を持参したが、あまりに美しいお花が先に生けてあったので取り換えるわけにもいかず、すごすごと持ち帰って家のお内仏に飾った。手ぶらになっちゃってごめんね、先生。そして、お下がりみたいでごめんね、親父。