好きなだけじゃだめ?

 母を病院に送ってから国立の大学へ月曜日の試験問題を届けてきた。いつもより遅い時間帯の移動となるので、混雑を避けて高速道路を使うことにした。初めて中央環状線の山手トンネルを走ったが、7キロも地下を走り続けるのは少々不安ではあったけれど、道幅も広く快適だった。これが渋谷まで延びて東名道につながると便利にはなるなあ。住環境を奪われたり壊されたりでひどい目にあっている方もいらっしゃるのだろうが。
 このトンネルは山手通りの下を走っており、さらにその下には都営地下鉄の大江戸線が走っている。中落合から清水橋のあたりまでの区間だ。以前に勤めていた学校で鉄道研究部の顧問をしていたとき、大江戸線の中野坂上周辺の建設現場を見学させてもらったことがある。ヘルメットをかぶり、階段を地下深くまで降りていくと、ガランとした空間が広がっていた。地下鉄のトンネルにしては大きいなと思っていると、ここには高速道路が通るのだと係の方が教えてくれた。我々の知らないところで東京の地下はどんどん開発されているのだと知り、驚くとともに少々薄気味悪くもあった。しばらくして秋庭俊氏が東京の地下に関する書物を出されたとき、いわゆる「トンデモ本」として一笑に付す人もあったが、僕は全面的に信用する気分になった。それは、このときに見た地下空間の存在があまりにも衝撃的だったからである。
 あのクラブは行動的な部員が多く、なかなか活発に活動していた。営団地下鉄の中野検車区を見学したときは、丸ノ内線の鋼鉄の赤い車体の最後の姿を見ることができた。誰よりもうれしそうにしていたのは引率教員の僕であった。サインカーブ*1を指でなぞってみたりして。あの電車は、今、ブエノスアイレスの地下を走っていると言う。京成電車の高砂検車区へ行ったときは、台車の写真ばかり撮り続ける中学3年生がいると思えば、目を離すと電車によじ登ってしまう中学1年生もいて、鉄道マニアの奥の深さを知った。一番の思い出は同じ京成の宗吾車両基地だ。一通りの見学を終えたあと、旧途色のAE形の前で*2、案内してくれた制服姿も凛々しい二人の若い職員が「何か質問は」と言ってくれた。すかさず中学1年生の部員が、目をキラキラさせながら「お二人は、どうして鉄道マンになったのですか」とたずねる。僕を含めたすべてのメンバーが同じ答えを期待して待っていたはずだ。するとその二人は「鉄道は公共事業だし」「安定した企業だからね」と口々に。少年たちの夢はもろくも崩れ去ったのである。
 今思えば、鉄道が好きなだけで鉄道マンになられても困るか。学校が好きだからという理由で教員になってモタモタしてるのもここにいるしね。

*1:これは普通の人はわかりませんね。昔の丸ノ内線の車両は、赤い車体の側面に白い帯が描かれていて、その中に波型の金属製の飾りが取り付けてあったのです。

*2:これも普通の人はわかりませんね。上野と成田空港を結ぶ特急スカイライナーは、今は二代目の車両を使っていますが、ここには初代の車両をデビューしたときの色に塗り直したものが展示されているのです。