マニア心のためでなく

 小学校1年生のときにもらった算数の教科書は、表紙に大きく「1」という数字が書かれていた。姉は同じ学校の6年生で、その算数の教科書にはやはり大きく「6」と書いてあった。
 − 6冊揃ったらかっこいいな。
 すでにコレクション癖は目覚めようとしていたのだろう。僕はそう思ったのだ。4年生の教科書をもらうとき、僕は本当に楽しみにしていた。しかし、渡された教科書の表紙には、そこにあるはずの「4」という数字はなかった。
 − 教科書って変わるんだ。
 4年生にしてそのことに気付いたとは、なんという嫌な小学生だったろう。今考えれば、改訂と採択のタイミングだったわけだ。同じ出版社の教科書でもデザインが大きく変えられることもあるし、採択が変わって別の出版社のものが渡されたのかも知れない。いずれにしても、小・中学校用の教科書は3年(または4年)ごとに改訂され、それに合わせて採択も見直されるのだ。*1
 昨日も書いたが、僕の学年は幸運だった。小学校低学年の3年間、高学年の3年間、そして中学校の3年間と、まとまった期間を同じ教科書で学べたからである。特に中学校の3年間、途中で教科書が切り替わらなかったのはありがたかった。コレクションが完成してマニア心が満たされたからというわけではなく、同一の方針で編まれた3冊を継続的に使うことができたからである。
 そもそも、中学校の英語教科書は3冊セットで編まれているのだから、3冊をセットにして使うのが当たり前である。当時の学習指導要領は文法事項の学年配当を定めていたから、途中から教科書が切り替わったとしても文法学習の上での問題はないとも言えただろう。しかし、英語を学習するうえで問題になるのは文法だけではない。語彙をどのように定着させていくか、世界観をどのように拡大していくか、教科書に与えられた課題は多いのであって、学習者の立場に立てば、教科書が途中で切り替わるのは本当に困ったことなのだ。
 僕は、教科書は3冊でセットであるという認識に立ち、入学時に3冊のすべてを渡してしまうべきだとある時から考えるようになった。私立の中高一貫校に勤めているときに提案してみたこともある。もっとも、まったく相手にはしてもらえなかったが。
 しかし、これは思いつきではない。実際に3冊の教科書を束にして持っている中学生を電車の中で見かけたのである。「ある時」とはその時のことだ。もう20年も経つだろうか。都内のM区にあるFという学校の中学1年生が3人、電車の中で1学期の中間試験の勉強をしていた。彼女たちは、3人が3人ともS社のTという教科書を3冊セットで持っていた。なぜ1年生とわかったか不思議に思う人もあるだろうが、5月にブカブカの制服を着てピカピカの鞄を持っていたら、その子は間違いなく1年生である。
 僕は、そのようなことを実現したその学校の英語教員の発案と教務担当教員の行動力に感心した。無償配布の中学校用教科書である。まず「需要票」はどのように処理したのだろう。この学校が今もこれを続けているのならば、あるいは他に同様のことをしている学校があるならば、さまざまの障壁をどのように乗り越えたのかぜひとも教えていただきたいと思う。

*1:広域採択の制度にも大きな問題があるが、取り合えずここでは扱わないでおく。