雪の砦

 テレビでは各地の雪や風のニュースが報じられている。高校時代の友人の暮らす街の景色も映し出された。東京の下町生まれには、あの雪は辛いだろう。お見舞いのメールでも打ってみようかな。
 昨日の東京の雪は夜にはすっかり消えてしまったが、高校3年の1月に降った雪はすごかった。そして、僕らもすごかった。また妙なことを思い出した。


 高3の3学期の授業は、開講はするが出席の義務はないという変則的なもので、全員が集まるということはなかったが、それでも毎日数名が登校して授業を受けていた。僕もその一人で、雪にもめげずその日も元気に登校した。
 政治経済の授業が始まるのを待っていると、講師の先生がやや遅れて見えてこうおっしゃった。
「あれ、君たちどうしたの。」
 どうしたのではない。雪の中、授業を受けに来たというのに。すると、先生は続けて、
「外を見てごらん。もう積もってるよ。雪合戦でもしておいでよ。」
 意外なことばに驚く僕たち。ことばも出ない。
「いいから、いいから。さ、早く。」
 半ば強制的に校庭に出された僕たちは、指示通りに雪合戦を始めた。教室を見上げると、先生がニコニコしながらこちらを見ている。
「先生もどうぞ。」
 街の子は、愛想だけはよい。手を振る僕たちに、先生はただ手を振り返すばかりであったが、僕らの雪合戦は異様な盛り上がりを見せ、次に教室を見上げたとき、そこにはもう先生の姿はなかった。
 チャイムが鳴る。もう30分も雪合戦をしていたのか。満ち足りた思いの中にわずかな物足りなさを感じた僕たちが目をつけたのは、第二グラウンドにつながる歩道橋であった。
「あそこに砦をつくろう。」
 誰が言うともなしに、僕たちの壮大なプロジェクトは始まった。雪を集めては踏み固め、高い壁をつくっていく。次の時間の終わりを告げるチャイムが鳴るのも耳には入らなかった。
「あのぉ。すみません。通らせてもらえますか。」
 1年生だろうか。第二グラウンドの手前にある部室へ行きたいと言う。
「ちぇ、しょうがないなぁ。ここを低くしてあげるから、またいで通ってね。」
 天下の往来を通ろうというのに、なぜ恩着せがましく通してもらわなければならないのか。上級生に嫌な顔をされ、舌打ちまでされて、さぞかし迷惑なことだったろう。
「すみませーん。」
 申し訳なさそうに壁をまたいで行く者、見てはいけないものを見るような視線を向けて通って行く者、何人もの下級生が通り過ぎて行ったが、僕らが手を休めることはなかった。
 永遠に続くかに思われた充実の時間。それが終わりを迎えたのは、あまりにも突然だった。飽きたのである。
 せっかくこしらえた要塞を跡形もなく壊す。誰一人として口をきく者はいなかった。すべてのことを終えて校舎に戻るとき、はじめて自分たちがびしょびしょに濡れていることに気付いた。
「バカだなあ。」
 担任の先生にタオルを貸してもらい、英語研究室のストーブで服を乾かしつつ暖を取らせてもらう。誰よりも熱心にプロジェクトを遂行したK君(下駄のK君とは別人)は、下着まで染みていた。


 2か月後、僕らは高校を卒業した。K君は抜群の成績でT大に進学し、僕はなんとかG大にすべり込んだ。同級生がT大生になったことは僕らの自慢だった。それが下着までびしょびしょにして一緒に雪の砦をつくったK君であれば、なおさらのことであった。