唐辛子をパラパラ

 醤油ラーメンに一味唐辛子を振って食べると以外においしい。特に魚介だしのラーメンにはよく合う。ラーメンにはコショウと決めている人も多いが、一味や七味といった唐辛子を好む人もまた多いようで、思いがけぬ人と思いがけぬ場面でこんなことに意気投合したりする。
 もりやせいろといった冷たいそばを食べるときは、そばの方に七味をパラパラかけてからつゆへと運ぶ。その方が香りが立っておいしく感じるのである。この食べ方が好きだと教えてくださったのは、田無で手打ちの名店を営んでいらしたH氏だった。たまたまお嬢さんを学級主任として受け持つことになり、そのご縁でそばの打ち方を教えていただいたり新装なったお店にお招きいただいたりしたのだが、思い返せばもう10年以上も前のことになる。H氏は「いろいろ試してみたんですけどね」とおっしゃって、七味をパラパラというのがいちばん美味しかったのだとおっしゃった。僕もそうして食べるのが好きだったので、ちょっと鼻が高かった。
 そのとき、「わさびはどうも」とおっしゃったことも覚えている。詳しい人に聞くと、冷たいそばにわさびを添えるようになってからそれほどの年月は経っていないのだそうで、わさびは邪道だと息巻く人もいるそうだ。こちらのH氏は、ご自分であれこれ試されて、当たり前のように添えていたわさびに違和感を覚えたそうである。
 そう言えば、「珍しい粉が入ったんですが、もう1枚入りますか」と、某国から輸入した粉で打ったそばを出してくださったこともあった。一口いただき「おや?」と思わせる味にことばを失っていると、にこやかに「どうです、やっぱり一段落ちますよね」とおっしゃるので面食らった。普段の粉はご自分で栽培されたものを使っていらっしゃったが、これも「あちこちの粉を試してみたんですが」と、最終的にご自分で栽培するようになったいきさつを照れくさそうに話してくださった。
 テレビや雑誌にも取り上げられる名店のご主人だったが、遊び心と探求心をいつまでも持ち続けていらっしゃったことに今さらながら敬服する。何ごとも決めてかからず、一切の思い込みを捨てて仕事をしていらした姿勢には、職種の違いを超えて学ぶべきものがある。
 「思い込みからの脱却」というのは恩師・若林俊輔先生のテーマだった。先生は「教わったように教えるな」とも、口を酸っぱくしておっしゃった。今、「教わったようにように教えるな」と教わったように教えている人々を見るのは悲しい。
 H氏も先生も、お浄土へ還られてしまった。日曜の午後、カップの醤油ラーメンに一味唐辛子をパラパラと振りながら、懐かしい人々のことを思い出した。