街歩きの師匠

 久しぶりに地下鉄日比谷線に乗った。まだ小学校に上がる前だったか、日曜日ごとに父に銀座まで連れて行ってもらった時に乗った電車だ。
 地元の足立区から都心に向かって行き、上野を過ぎると《仲御徒町→秋葉原→小伝馬町→人形町→茅場町→八丁堀→築地》と駅が続く。小さい頃は《小伝馬町→人形町→茅場町》の順番がなかなか覚えられなかった。ある時、父に向かって「同じような名前が続いていて覚えづらいよ」と口をとがらせると、「町の並びを考えれば簡単じゃないか」と言われた。「ふぅん」と答えてはみたものの、幼稚園児が日本橋の町の並びを理解しているわけがなかった。父の言ったことが完全に理解できたのは、大きくなって自分で街を歩き始めてからのことだ。今も地下鉄に乗ると、頭上に何があるのかを考えながら頭の中に地図を描いている。ある人にそのことを話すと、ずいぶん怪訝そうな顔をされた。そんなにおかしなことかしら。
 父は駅ごとに看板にローマ字で書かれている駅名を逆に読ませたものだった。「うえの(ueno)」は「おねう(oneu)」といった具合にである。千代田線で赤坂まで行っていたら、AKASAKAはどちらから読んでも一緒だということにもっともっと早く気付いていただろうに。ちょっと残念。街歩きのフィールドが少しばかり違っていたね。
 銀座では、決まってソニービルのドレミ階段を上り下りし、西銀座デパートの「アラスカ」でハンバーグを食べさせてもらった。日劇で「ケロヨン」の舞台を観たことや、西銀座サテライトスタジオでのクイズ番組の収録を肩車をしてもらってのぞいたことも懐かしい思い出だ。おもちゃを買ってもらったこともあっただろうし、父は父でおつかいもあったのだろうが、とにかくよく歩いたことばかり覚えている。そして、それが楽しかった。日曜日の来るのが待ち遠しくてならなかった。今でも街を歩くのは好きだが、それはこの頃に父に鍛えられたおかげなのだろう。