御満座

 報恩講2日目の今日は、8時より晨朝法要。一日のことを思うと気になることが多く、なんとなく心がザワザワしていたのだが、お勤めするうちに少し落ち着いてきた。
 ふすまや戸を外して落間に椅子を並べ、余間にも座布団を置いて大勢のお詣りに備える。例年の報恩講や他の行事に比べると、スタッフとして動いてくださる役員の数も多く、バタバタと駆け回る必要のないことはありがたい。受付はもちろん、下足番・配膳・案内・撮影・進行と、それぞれの持ち場意識が今日の大きな法要を支えていたのだろう。
 お斎のあと、13時より日中法要。満堂とはこのことだ。外陣・余間・落間を参詣のご門徒が埋め尽くしている。さらに、大勢のご法中に出仕いただき大いに感激。住職の表白に示された問題意識と、声明の伝統に支えられた勤行の荘厳さの重なり合うところに、お寺の「今」があると感じた。お勤めのあとは、安冨歩氏に感話を、一楽真師に法話をいただき、その「今」をそれぞれのことばで裏付けていただいたように思う。
 私の仕事は「御礼言上」であった。直前まで文言を練り、誰にもOKをもらわないままの本番。柄にもなく声が出ない。極度の緊張のうちに語った手探りのことばが意味を持ったのだとしたら、そこに「他力」のはたらきをいただいたのだと思う。
 打ち上げの席では、これが「おさらい」の場になっているとの指摘に納得。また、御礼言上についてずいぶんとお誉めのことばもいただいて恐縮した。心地よい疲れのうちに早めの帰宅。ここに、私たちの御遠忌報恩講は結願する。