ひなた燗

 今日はU氏と船橋へ。伊藤先生のお墓にお参りする。先生がお浄土に還られて6年になるから、もう七回忌だ。夏薊忌と名前を付けさせてもらってからは3回目になる。
 昼下がりに改札口で待ち合わせ、駅前で買った花を携え夏見の長福寺へ。いつもはそそくさとお寺を後にしてしまうのだが、今年はU氏の持ってきてくれた竹原の酒「誠鏡」の「吟醸 まぼろし」を飲みながら、お墓の前でしばらく思い出を語りあった。
 伊藤先生は本当に酒の好きな方だったが、振り返ってみると、酒の席でも注文や会計といったお世話をしてくださる姿ばかりが思い出されて、ゆっくりのんびりと杯を傾けた記憶がほとんどない。忙しい毎日を駆け足で、それこそ全速力で駆け抜けるように生きた人だったのだとあらためて感じる。
 すでに村下さんの亡くなった歳を迎えたが、いのちが存えるならば私たちもそのうち伊藤先生の亡くなった歳になる。先生のような厳しい生き方はとてもできそうにないが、先生に恥ずかしくないように生きてその時を迎えたい。
 夕暮れにはまだ時間があるが、そう長居するわけにもいかないか。お墓に供えた酒も空けて帰ろうと、二人で分けて口を付けてみた。酒飲みの世界には「ひなた燗」という名があるらしいが、夏の日差しの中に置かれたカップ酒のぬくもりはまさにその趣だった。
 ここで俳句のひとつもひねることができればよいのだが、見事なまでの無芸大食。船橋、上野と寿司屋を「はしご」してしまうでたらめさで、すっかりおっさんの度合いが増した私(たち)である。