光そへなん いざやいざ

 かつての職場の同窓会報が届く。ページを繰るうち、在職中にお世話になった事務長(後の常務理事)さんがこの2月にお浄土に還られたことを知った。
 当時の私は、授業や担任業務のかたわら校内のネットワークを再構築するためのシステムアドミニストレータのようなことをしていて、事務方のみなさんには本当にお世話になったのだ。その学校はある会社のグループ企業の1つと位置づけられており、学園にとっては理事長であるグループの最高経営責任者への定例報告に同席させていただいたことを思い出す。
 グループの本社は日本橋にあった。若かった私は、事務長って子会社の社長と同格なのねなどとくだらないことを考えながら席に着いていたのだが、普段は貫禄たっぷりの事務長さんが事務次長さんとともに小さくなっている姿を見て、校内ネットワークの再構築には私の知らない事情が幾重にも折り重なっていることを知り、ずいぶん重たい荷物を背負ってしまったものだと思ったことだった。
 実際、仕事を進めていくうえでやっかいなことはいくらもあった。それらはみな教員間の問題で、まさに私怨の渦巻く中で相当に苦しい思いもした。理事長さんは定例報告の際のご自分の態度をかえりみて「若い先生に気の毒なことをしたから、よろしく言っておいてくれ」とおっしゃったそうで、そのお気持ちをありがたく思いながら、事務方のみなさんに支えられてなんとか務めを果たすことができたのだった。
 学園がこの先の歴史の節目に記念誌を出すとしても、このようなことは決して綴られることはないだろう。歴史研究の片隅に身を置きながら、文字に残らぬ歴史のことを思う。そして、事務長さんの墓参もかなわぬかとの思いのうちにお内仏に手を合わせる。南無阿弥陀仏。