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 内科と眼科で定例の検査。内科の方は区の無料検診制度を利用させてもらった。1年前に比べると胴回りが5センチ落ちていたのだが、見たところではほとんど変わりのないのが悲しいところ。ここでも「大富豪仮説(Bill Gates Hypothesis)」の正当性が確かめられる。
 眼科の検査では薬で散瞳させるので、半日ばかり細かな作業ができなくなる。仕事を進めるのはあきらめることにし、しばらく休み、日の陰るのを待って夜の町へ。夜も更ける頃には持参の文庫本が読めるほどになっていた。読んだのは徳永進氏の『死の文化を豊かに』の続き。居酒屋のカウンターで本を読みながらしきりに顔をぬぐうものだから、回りの人には気味悪がられていたことだろう。
 早めに帰宅すると、あるところで手に入れた『THE NIKKEI MAGAZINE』の第83号(2010年3月号)が届いていた。特集のひとつに「東京の復興小学校」があり、どうしても読みたくて探し出したものだ。
 取り上げられているのは、千代田区立九段小学校、中央区立明石小学校、文京区立明化小学校、それに中央区の旧十思小学校。記事の一部を書き置く。

 震災後の混乱の中だからといって、単純に「安く早く」という方針にはしなかった。震災で多くの子どもが亡くなった悲痛な体験を踏まえ、安全への配慮は十分になされている。鉄筋コンクリートのほかにも「非常時に全生徒が3分以内に非難できる」という目標を掲げ、廊下や階段の幅は広くとった。
 現在、国が定める小中高校の方廊下(片側だけに部屋がある廊下)の最低の幅は1.8メートル。復興小学校はより広い2.7メートルを基準にしている。現代から見ても安全な水準だ。
 子どもの衛生面にも気を配った。一般家庭はおろか公共施設でも珍しかった水洗トイレやシャワー室、暖房設備のラジエーターが全校にあった。屋上などに日光浴用のスペースを持つ学校も多かった。
 旧・永田町小学校(千代田区)には床暖房の設備まであった。子どもに快適に安全に勉強させようという設計者の思いの強さが伝わってくる。
 設備の充実度は復興小学校全校に共通している。一方、外観は学校ごとに大きく違う。東京市に集った技師一人ひとりが海外の最先端の理論を取り入れ、工夫を凝らして設計したからだ。

 明石小学校の校舎を「文化財」とする考えがあるが、それは単に外観上の意匠のみを問題にするものではない。子どもたちの安全と健康を願い、優れた校舎を築こうとした人々の思いこそが「文化」なのである。
 明石小学校では玄関の円柱が切り取られたとの話が伝わってきた。区ではその円柱をモニュメントにすると言っているようだが、その発想の貧しさを悲しく思う。