明朝8時

 夜、西落合へ。宿題が終わらず、こちらが焦っているという不思議。今まで何とかしてきちゃったんだろうな。何とかなるではどうにもならん。そのことを知ったのは、僕も二十歳のときだった。
 明石小学校ではこれまでの「卒業制作」について、その引き取り手がなければ写真に収めて廃棄処分にするのだという。教室名のプレート、姿見、温度計。これまで活用されてきたものも、新しい校舎では使う予定がないのだとか。何でもかんでも残しておくということに意味があるわけではないとも思うが、区の一連の動きを象徴する話であることには違いない。
 明日の朝8時から、校舎の玄関部分を切り始めると情報が入ってきた。私も行きたいのだが、寺の研修で京都に向かう朝とあって、少々厳しいだろうか。
 明石小学校の玄関ホールの写真を初めて見たとき、母校である上野高校の旧校舎の記憶がよみがえってきたことを思い出す。どちらの校舎も、玄関ホールの円柱には漆喰が塗られているのだが、その下の方、つまり人が触れる部分には焦げ茶色のタイルが貼られている。取り立てて華美ではないが、子どもたちへの思いやりに満ちた贅沢な内装である。
 くどいようだが、校舎は思想なんだ。明石小学校の校舎にいよいよカッターが入れられると知り、これを建てた人々の思想までもがズタズタにされるようで、こころが痛む。