不思議なつながり

 午後、所属寺で組の門徒会総会と研修会。O師の法話に、宗教は答えではないということ、生活の中にこそ教えがあるということを確かめさせていただく。最後に引かれたのは清沢満之師のことばだった。

  • パンの為、職責の為、人道の為、国家の為、富国強兵の為に、功名栄華の為に宗教あるにはあらざるなり。人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。
  • 宗教は人心をしてその根蔕を自覚せしむるものなり。

 上は「御進講覚書」の一節、下は近角常観師が1900年12月に『信仰之余瀝』を刊行した際、その序として寄せた文章の冒頭部。清沢満之師と近角常観師との関わりについては知っていたが、このことばが2人の親交の中に生まれたことは帰宅してから調べて知ったことで、最近の私の関心事との不思議なつながりにあらためて驚いている。
 このところ古い建物の「リノベーション」が気になってしかたのない私だが、実は、近角常観師が東京の本郷に開いた「求道学舎」が建築家であるお孫さんの近角真一氏の手で再生され集合住宅として生まれかわったことを知ったのが、たまたま今日の今日、お寺に出かける前だったのだ*1。研修会後の懇親の席でそのこと話題にすると、隣に座っておられた所属寺の住職であるH師が、「近角さんならよく知ってるよ。電話してあげる」といつものように携帯電話を操作。思いがけず近角真一氏とお話しさせていただくことになり、オロオロしながらもありがたく思う。
 住宅としての求道学舎は、この先60年は空きが出ないとのことで、住むことはとてもかなわないようだ。だが、事務所として使っている部屋ならば見せてくださるとおっしゃっていただいたので、ずうずうしくお訪ねしてみようかなどとも思っている。
 今日は、もうひとつのつながりにも不思議を感じた。門徒会などでご一緒させていただくM氏は旧京橋区(現在の中央区)のお生まれで、京華小学校(当時の国民学校)に学ばれたのだそうだ。京華小学校の校舎もいわゆる「復興小学校」だったが、現在その建物は改修され「京華スクエア」という生涯学習施設になっている。
 中央区のウェブサイトでは、この施設を以下のように説明している。

 この京華スクエアは平成5年3月をもって閉校した中央区立京華小学校、京華幼稚園の建物を再利用したものです。当初、跡地利用に当たっては取り壊しの話もありましたが、区の財政負担をできるだけ軽減して、地域の活性化を図る活用方法を検討した結果、既存校舎を改修し利用することとなりました。
 昭和4年完成のこの校舎が、新たに「京華スクエア」として生まれ変わることができたのは、建物の構造がしっかりしていたということも大きな理由の一つです。

 ここでは、財政負担を減らすための区の知恵を自慢し、建物の構造がしっかりしていることにも胸を張ってみせる中央区。ところが、明石小学校のことになると「構造体のコンクリートの劣化が進む現校舎でこれら課題に対応していくことは困難*2」として解体を進め、「改築」の費用として平成22年度の予算で47億2200万円を計上しているのである。何があったんだ中央区。何やってんだよ中央区。
 あらら、今日もやっぱり明石小学校のことになってしまった。

*1:INAX リノベーションフォーラム http://forum.inax.co.jp/renovation/forum/004chikazumi/004lec03.html

*2:平成22年8月23日付、区長名の文書 http://www.city.chuo.lg.jp/kyouikuiinkai/kyosyomu_20100820223602337/index.html