取り戻せぬもの

 母は医師に勧められていた検査を受けに病院へ。一泊以上を覚悟していたが、夜には帰宅することができた。ポリープが見つかったというが、良性のものであろうとのことで一安心。
 昨日から続けていた採点は終えたものの、評定の段階で頭が動かなくなってしまう。締切まではもう少しあるから、一晩寝かしてみることにした。
 夕方前、三越本店に出かける用があり、ついでに明石小学校の校舎を見に行ってみた。校舎の解体に先立って撤去されたプールのあとにはプレハブが建ち、工事が進みつつあることがわかる。仮囲いの施された校舎の姿はなんとも痛々しかった。
 今日の『東京新聞』は朝夕刊ともにこの校舎の解体問題を扱っている。夕刊1面の「校舎は現在の基準でも耐震構造を満たしており」とのことばが目を引いた。
 絶対に壊れないものをとの思いでこしらえたのだから、頑丈なのは当たり前だ。川砂十割で手練りのコンクリート。おまけに外壁には漆喰が上塗りしてあるのだから、そうそうのことで劣化するはずがない。建築には素人だが、そのくらいのことはわかる。
 以前ここにも書いたが、母校である都立上野高校は、大震災後の「『帝都の復興』は教育と文化から」という東京市の理念のもとに創設された。昭和3年に竣工した校舎は、そのシンボルのひとつであり、機能的でモダンなものだったが、何より堅牢であった。建て替える直前でも、消防署の監査では「100年は大丈夫」というお墨付きをもらっていたのだ。
 縁もゆかりもない明石小学校の校舎にこだわる理由はいろいろあるが、ひとつ確かなものは、あんなに素敵だった母校の校舎をみすみす建て替えさせてしまったことへの慙愧の念だ。それこそが私を突き動かしているのを感じるのである。

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