哀愁の高山

 会務をずいぶん残しているのだが、はかどらない日もあるということで。
 午後、大学以来の友人であるK君より、おばあさまが還浄されたので高山へ帰るとのメールがあった。勤めてすぐの頃だったか、K君とM君とともに、高山のおばあさまを訪ねたことがある。穏やかな笑顔で迎えてくださり、リンゴをむいてくださったことを昨日のことのように思い出す。
 おばあさまは、江名子川のほとり、地図上の点として言えば高山の別院さんと桜山の八幡さまにはさまれたところに建つ、昔ながらの軒の低い二階建てのお家にお住まいだった。この町を好んで旅した父の特に好きだった五平餅のお店にほど近く、観光客として訪れた町に根を張って暮らす人の存在を知り、不思議な感慨をいだいたものだった。
 高山は父とともに数回、K君とともに1回、勤めていた女子校の写真部の合宿で1回訪れたことがある。写真部の合宿では白川郷まで撮影に出かけたが、そこには立派な合掌造りのお寺があった。掲示板になじみ深い文字を見たような気がしたので、近付いてよく見てみるとやはり大谷派のお寺だった。更によく調べてみると、白川の地は飛弾における真宗興隆の中心地であったということもわかってきたのだった。
 そう言えば、K君のおうちのご宗旨を聞きそびれたのだけれど、どちらだろうか。私は私で、うちのお内仏に手を合わせて南無阿弥陀仏と称えることにしたが。