虚子と比無

 夜、昼のうちに録画しておいた『こころの時代〜宗教・人生〜』の「花鳥諷詠 南無阿弥陀〜師 高浜虚子の思い出〜」を見る。俳人の深見けん二氏が白鳥元雄氏を聞き手に師の思い出を語る1時間。この3月に米寿を迎えられるという深見氏に矍鑠としたものを感じていると、傍らで見ていた姪が、確かにそうだがさすがにこの5年は長かったという。聞けば、5年前、NHK出版でアルバイトをしていたときに『NHK俳壇』の収録でお見かけしたのだとこと。君にも得難い出遇いがあったんだね。
 番組では高浜虚子の残した散文の一節が紹介され、そこに示された浄土観になじみ深い思いをあたためていると、引き続いて、虚子と暁烏敏との間に深い親交のあったことが知らされた。虚子は明達寺を訪れ泊まったことがあるとのことも。なるほど。敏が「非無」の号で俳句を作っていたことは知っていたが、虚子との深い関わりについては初めて知った。
 たっぷりの1時間を終えると、切り替わったテレビの画面にはあやしげな人物が映し出され、パワースポットのへったくれのと言っている。曰く、神社にお参りするときには心の中で住所と氏名を言いなさいと。言わなければ神様がどこのどいつだかわからないと。愚かな話である。以前うかがった「私の現住所はどこか」という近田先生のご法話を思い出した。住所は郵便物の届く場所でしかない。私の「現住所」は、今、ここにしかないではないか。
 テレビは好きだが、あれこれ考えさせられる。カーリングを民放で見るのは初めてだったが、エンドの終わりごとにコマーシャルが入るので、リードの第1投がまず見られないのである。1投目が大事なのにね。おや、ここにもにわか評論家がひとり。