あれから15年

 兵庫県南部地震から15年。私は当時、練馬の女子校で中学3年生の学級主任をしていた。学年全体で行くスキー旅行の前日だったように記憶している。旅行中、おばあちゃんが神戸にいるという生徒がずっと心配そうにしていたのを思い出す。
 私の伯母は明石に住んでおり、そのあたりも大きく揺れたそうだ。「阪神・淡路大震災」などと聞くと明石などは無縁のようにとらえられがちだが、実際には甚大な被害があった。その中で、伯母の家族が大きな被害に遭わずに済んだのは本当にありがたいことだった。
 神戸の北野にお住まいのK先生とお近づきになる機会を得たのはその4年後のことだった。当時の私は渋谷の女子校に移っていて、そこで教えられているローマ文字の書体について会の全国大会で発表したところ、ご幼少の頃の経験に照らして貴重なコメントをくださったのだった。
 K先生とはその後何度もお目にかかる機会があったが、英語教育や学校史の話の合間に必ず地震に備えているかとおたずねになった。思えば、私はこの方のことばすらきちんと受けとめていないではないか。すべてをひとごと・よそごととして生きている自分に気付くわけだが、さて何に学びどう備えたらよいのだろう。