今日とも知らず明日とも知らず

 駅伝を一秒も見ない正月というのも、なかなかよいもの。S大学から応援グッズをいただいたというのに、ごめんなさい。片付けものに精を出したら腰に来てしまって、やれやれ。小さな花瓶に活けられたテッポウユリが開き、ストックは穂先に向けて次々に花をつけていく。大地から切り離された小さな植物にも「いのち」がある。
 夕刻、所用あって所属寺へ。思えば、この三が日は毎日お寺に顔を出している。もっとも、昨日は一泊させてもらったクルマを引き取りに行ったのではあったけれど。今日は、お寺に着くなり、よく存じ上げている方が還浄されたとのことを坊守からうかがって驚いたのだが、住職とあれこれの話し合いを進めるうちにも、ご門徒がお浄土に還られたとの知らせが次々に入る。今日だけで4人とか5人とか。
 人間の「いのち」のことを思う。帰り道、「白骨の御文」の一節を思い出したことであった。

我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。