目が覚めて

 地元・千住のお寺で門徒会の報恩講。敬愛するD師の法話を初めてうかがう。
 長講80分。響くところが多かったが、特に中盤で引用された「目が覚めてぐっすり眠ったことを知る」という川柳を書き留めておきたい。くすりと笑っておしまいになってしまうかも知れない川柳が、法に照らされ、こうして如来のことばになる。
 私はこう受けとめたということばの交換が、法話に広がりや奥行きを与えることもあらためて知った。ここに「今」を問われ「生」を問われてあることへの覚悟。私一人の耳では聞き取れなかったことに気付かされる。
 法話の前に語られたご門徒の感話も響いた。極度の緊張のうちに告白される信仰。お念仏の教えはおばあちゃんの背中が伝えたことを知るとき、名もない人々によって受け継がれてきた教えの系譜を思わずにいられない。私はことばをおろそかにしていないか。問われるのは、常に自分の今である。