須原屋の名を見つけて

 月例会は明治初期の公立小学校における英語授業の実情に関する発表。回覧された当時の資料の奥付に、版元の名として「須原屋」の名を見つけて手が止まる。須原屋といえば、浦和をはじめとして埼玉県内に多数の店舗を構える書店の名と同じだが、この須原屋と関係があるのか気になって仕方なくなってしまう。
 今日は早めに帰宅したのでさっそく調べてみたところ、どうやら大いに関係がありそう。江戸時代の地図などに「須原屋版」などというのがあるのはなんとなく知ってはいたが、この須原屋というのは江戸随一の版元だったとのこと。それが明治の世になっても事業を展開し続け、明治9年に浦和に進出したのが現在の須原屋のルーツなのだそうだ。私はだいたいが気の散るタイプなのだが、今日は気の散ったことが少々役に立ったかも。