雨もまたよし、か

 大きな大学への憧れというものは常にあって、校舎がいくつも建っている様子など格好がいいと思う。高尾や生田のキャンパスに出向くと、どこかうらやましいような思いを抱くことも多い。
 しかし、それも天気のよい日に限った話だ。今日のような雨の日には、パソコンの入ったかばんを肩から提げ、教材の入った手提げを2つも手に持ち、傘までさして入ったり来たりするのだから、まったく勘弁してもらいたいと思うのである。施設をいくつも建てるならば、昔の学校にあったような(今もあるか?)渡り廊下でつなぐとか、地下通路でつなげてみるとか、とにかく何かしらの手立てを考えた方がよい。
 以前勤めていた練馬区内の学校には、立派な講堂や複数の体育館や屋内温水プールなどがあったが、いずれの施設も無理やりつなげたように見えるので奇妙に思っていた。ある日、当時の事務次長さんにあまりに見栄えが悪いのではとおたずねすると、彼の返答は明快だった。つなげなければ移動が面倒だという気持ちが起きて、せっかくの施設も有効に使われなくなる、つまりは宝の持ち腐れになってしまうのだとのこと。彼の発案ですべての施設は無理につなげられていたのだった。
 私はその学校で、その事務次長さんと組んで校内のネットワークを再構築する仕事をさせてもらった。システム・アドミニストレータのような役回りである。その過程で柄にもないことをずいぶん勉強したのだが、LANは一つの建物の中に閉じられていなければならないという当時の決まりごとを読んだときには、事務次長さんの先見の明に頭が下がる思いがしたことをよく覚えている。
 後に勤めた渋谷の学校も、すべての施設が見事につながっており、その点では実によいデザインだったと思う。ただ、あの校舎は、人間の動線がどこかないがしろにされたようなところがあって、どうも好きになれなかった。学校の建物というのは難しいものだがおもしろくもある。人生をやり直すことができるのなら、学校専門の建築家になってみたいと、けっこう強く思ったりする。