同じ調子の難しさ

 久しぶりの休日。朝から学会の事務を少し片付け、パソコンのハードディスク内のデータを整理する。思いがけず大がかりになってしまい、夜になっても終わらない。
 昨日の日記にコメントをいただいたこともあって、パソコンに向かいながら高校時代の懐かしい英語の先生方のことを思い出していた。英語で授業される先生も多かったが、そのおひとりは3年間教えていただいたS先生だ。S先生は、日本語でも英語でも、とにかくいつでも照れくさそうにお話しされる方だった。卒業後も長くご厚誼にあずかった恩人のひとりだが、S先生と教員としての私の両方をご存じの方から、授業中の話し方がそっくりだと言われたことがある。
 F先生は日本語で話しているのがいつの間にか英語にスイッチしてしまう方で、廊下で立ち話しているときなども、気がつくといつの間にか英語で応対することになっていたりしたものだ。先日ここに書かせていただいたI先生もW先生も、ともにいい声の持ち主だったが、日本語も英語も同じようなトーンで話される方々だった。Y先生とは他校に転じられた後でお目にかかった。日本語も英語も「栃木なまり」でお話しになる方だったが、その英語のよどみないことと言ったら脱帽するほかなかった*1
 どの先生も博学で英語もお上手だったが、日本語も英語も同じ調子で話されるところが印象的だった。この「日本語も英語も同じ調子で」ということを、私自身どこか目指しているようなところがある。大学時代も教員になってからも、英語で運営する授業をいくつも見せていただいてきたが、身振り手振りもにぎやかに元気に英語で話されている先生が、日本語に切り替えた途端に小声で申し訳なさそうにぼそぼそとやられることを目にすることが多かった。授業中に日本語を使うことへの罪の意識なのか、英語ではなく日本語が自信なさそうに響くのだから不思議なことである。
 私のことを言えば、日本語と英語の調子を変えずに話すにはどうにも英語の力が不足している。努力によって実現できることであるならば、がんばらなければならないと思う。

*1:余談だが、S先生は国立大学の附属学校に移られ、退職後は1年間の英国暮らしを経て某大学の専任職となられた。F先生は都立高校の校長となって全英連の会長を務められ、退職後は某大学の専任職となられた。I先生は、私の在学中に某大学の専任職となられた。W先生も都立高校の校長となって全英連の会長を務めらたあと、国立大学の附属学校に校長として移られた。Y先生は指導主事を経て都立の校長となり、都英研の会長を務められた。経歴はすべてではないが、思えば「すごい」先生方にお世話になっていたものだと思う。