適正な声量というもの

 生田で2コマ。今年はあえて教科書を指定しなかったので準備はたいへんだが、やりたいことがやりたいようにできるのでありがたくもある。ただ、授業がうまく運ばないのを教科書のせいにはできないわけで、そこから生まれる緊張感を力にしていかねばと思う。
 ライティングの活動をしていたら、廊下をはさんだ向かいの教室から英語で叫ぶようなわめくような声が聞こえてきた。映画でも使って授業されているのかとドアの小窓越しにのぞいてみると(これがうまい具合に見えるのだ)、英語ネイティブの先生が身振り手振りを交えて熱弁をふるっていらっしゃるところだった。
 英語ということばというものは、そこまでテンションを上げなければ話せないものなのだろうか。英語を用いたコミュニケーションというのは、そんなに「キツイ」ものなのだろうか。以前、ある中学校で有名な先生の授業を見せていただいたときにも同じような感想を抱いたことを思い出した。