ラジオの声は未来に届くのか

 平日の午後、今までずっと聴いていたラジオが終わってしまったことが、今さらながらさびしくてならない。TBSラジオの「ストリーム」は、ラジオの新しい可能性を追い求め、そのひとつの形を示した番組だったと思う。
 最終回は先週の金曜日(2009年3月27日)だった。エンディングで、進行役のひとりである松本ともこさんは、こう言っている。

 「ストリーム」が終わるとお伝えしてから、ブログ、ホームページ、たくさんお手紙ありがとうございました。「どうして終わっちゃうんですか」、「悔しい」、「悲しい」ということばを自分自身にも問いかけました。「あのとき努力が足りなかったかも」、「もっとがんばれれるかも」と、最終回が夢に出てきたこともありました。ラジオ人生18年の中で、この7年半は本当に忘れられません。あの、同じような思いをして、忙しい人、つらい人、努力する人、最高に幸せな人も、ラジオがないときっと困ると思います。本当に、これから、あの、いろいろとポッドキャストとか、みんなの聴き方、どんどん変化していく時なので、どうぞ私と一緒に、ラジオを忘れないで、家族と思って、すぐまたみんなと一緒に楽しいすごいことができると思っていくので。本当に長い間ありがとうございました。

 もうひとりの進行役である小西克哉さんは、こう言っている。

 あのぉ、本当にいい番組でしたと、たくさんのメールいただきました。私も30年近くこの業界におりますが、こんなに惜しまれて終わる番組初めてです。こんなにいい番組なのに何で終わるんだ。それは、やっぱりそれなりの成績が収められなかったからだと思います。あのぉ、レイティングという中で、反映されないたくさんの人々がいると。それはポッドキャストという、ただそのカタカナだけでは終わらない、新しいメディアで、初めてラジオを聴くという人が、いかに多いのか。これは、従来の手法で番組を作っている人たちにはわからないことだと思います。で、僕たちは、新しいことをやって、やっぱりそれなりのことをやろうよと始めて、で、それなりの成果はあったんだけど、やはり最後には、んん、やっぱりこのご時世、続かなかった。それは僕らの非力のなすことだという風に思います。でも、新しいことをしようとして、まあ、そこそこできたのかなと。でも、持続できなかったと。これは悔しいです。だけど、業界の、も含めてね、新しいことをやっていかないと、やはり、すべてが終わってしまうのではないかと、これだけ言いたくて、ええ、まあ、以上です。

 さびしい話だが、ラジオはもはや斜陽の「業界」なのだろう。しかし、独自の文化を発信する基地として、聴取者によるネットワーク---それは単に聴取者と番組との双方向的なつながりにとどまらず、聴取者間の連帯、つまり「横」のつながりを含むものだ---の中心として、その存在が価値を失うようなことがあってはならないと思う。要は、金になるか(スポンサーがつくか、番組が売れるか)という基準だけが絶対視されている状況こそが問題なのであって、コンテンツそのものの問題ではないのである。
 「バツラジ」を終わらせ、「JUNK 2」を終わらせ、「ストリーム」までもを終わらせた今、TBSラジオはどこへ行くのか。あんなに好きだった放送局が、なんだかちょっと遠くに見える。いや、遠くに聞こえる。