チンチン電車の走る道

 ようやくネットカフェに行く時間ができたので、MacBookを持ち込んでいくつかの仕事を片付ける。店内に設備されている無線LANにパソコン内蔵のAirMacを使って有料でつなぐのである。家で仕事ができないと、こういうおバカなことをしなければならない。
 帰宅すると、母が『思い出のアルバム京都市電物語』という本を読んでいた。明石に住む伯母(母にとっては姉)が送ってくれたのだという。
 見せてもらうと、奥付が2つあることに気付いた。京都新聞社が1978年に発行した自社の本を昨年の秋に復刻したもののようだ。
 同志社前の電停の写真には「永い間学生たちの“足”をつとめた市電」というキャプションが付けられているのに、百万遍の電停の写真には「京大の学生さんも市電を利用」とある。京都で「学生さん」と「さん付け」で呼んでもらえるのは京大生だけという噂は本当だったのかとおかしくなる。
 母も伯母も小学校の低学年くらいまでは京都市内の上京区に暮らしていた。京都駅前を出発して烏丸通を走る電車が東本願寺に近付くと、急に右へと方向を変える。どこか違うところへ連れて行かれるのでは、家に帰れなくなるのではと心配で電車の中で眠れなかったと言ったら兄に笑われたと、母が幼い頃の思い出を話している。
 もう市電の軌道はなくなってしまったが、今も烏丸通を走る車は東本願寺の前を避けるように東に迂回しなければならない。市電の軌道が敷設された頃の「お東さん」の大きな力のことを考えさせる風景だ。
 で、私は明日から、その「お東さん」に奉仕団の一員として上山するために京都へ。寒いかなあ。