読む経験

 西東京のサークルのあと、番町で家庭教師。久しぶりに仕事らしい仕事をした気分になる。
 家庭教師先では、昔の東大の入試問題の続きを解く。今日はモーム(William Somerset Maugham)の The Luncheon という作品が素材だった。舞台はパリ。ファンだと言って現れた女性に昼食をご馳走する羽目になった若い貧乏作家。レストランの支払いを気にする彼の気持ちを知ってか知らずか、「お昼はあまりいただきませんの」などと言いながら、次々に料理やデザートを注文していく女性。そんな様子がコミカルに描かれている。
 今の高校生はモームなんて読まないのだろうなあ。私も読まされた覚えはあるが、読ませた記憶がない。この作品に見られるような「おもしろさ」とか「おかしさ」といったものは、英語だけで運営する授業でどのように確認していくのだろうかと、ふと不安になる。
 英語の授業において「読む」という営みが軽視されて久しいのである。スキムもスキャンも大切な技術であることに間違いはないと思う。しかし、英語の文章を「味わう」という経験を不要と切り捨ててよいものだろうか。モームでなくてももちろんよい。サリンジャーやフィッツジェラルド、もちろんシェイクスピアだったら文句はない。文学などと構えなくてよいから、高校生に英語の文章を読んでもらいたいと思う。読ませてもらったのに読ませずに来た反省をこめて。