膏雨ひとしく湿さば

 時折小雨の混じる曇り空。高尾は一日厳しい寒さだったが、A402教室の窓から見える紅葉があまりにきれいなので、授業を終えて帰る前に写真に撮ってみた。
 終戦直後の一時期、この大学は「紅稜大学」を名乗っていたことがある。今も本部校舎のある茗荷谷の紅葉が美しかったので付けた名前だと聞いたことがある。高尾の地にキャンパスが開かれたのは1977年のことだが、「紅稜」の名を意識して植栽したのだろうか。この季節には、いたるところで美しい紅葉を見ることができる。
 この大学の場合は校名がその後の歴史的展開に意味を持ったわけだが、校歌が同様の働きをした学校も少なからずある。早稲田大学が「都の西北」へのこだわりから幕張ではなく所沢に校地を求めたという話は、もっともらしく伝えられているもののひとつだ。また、埼玉県立熊谷高等学校の校歌には、古い木造校舎の屋根を表す「赤甍(いらか)」の一節がある。そのため、改築の際、新しい鉄筋校舎にも赤い瓦屋根を載せたのだという。この手の話、嫌いではない。