ヤマタネイズム

 現在発売中の雑誌『FLASH』に山崎種二のことが載っていた。経済界に尊敬する人はほとんどいないが、山崎種二は別である。
 明治26年に群馬県に生まれた山種こと山崎種二は、東京・深川の米問屋に小僧として入るが、そのうち米穀取り引きで一山当て、次いで株に手を出して大儲け。とにかく機を見るに敏な人で、大きな財をなしたのである。
 山種が他の人と違うのはここからである。「金儲けも結構だが、何か世の中のためになることをしてはどうか」と、親交のあった横山大観に進言され、2つのことを思いつく。
 ひとつは絵画である。日本画を中心に、多くの絵画を買い集めたのだ。これは、現在の山種美術館のコレクションとなっている。もうひとつは教育である。傾きかけた女学校を買い取って立て直し、次代を担う女性を世に送り出そうとしたのである。ここには、自分の儲けた金は所詮は泡銭なのであって、これを世の中のために残すことを考えなければまったく意味を失ってしまうと考えた山種の潔さが表れている。
 学校を経営するにあたり、山種は教育の内容について一切口を出そうとしなかった。ただ、立派な校舎を建て、教員に多くの給料を出し、そうすることによって学校が円満に運営されることを願っていたのだという。山種の尊敬すべき点はここにある。酒やつまみを売って金を儲け、経営の思わしくなくなった私学を買い取ったと思ったらすぐに一丁前に教育者の顔をして、次々にマスコミに露出し、政府の委員にまでなって少しも恥ずかしいと思わないような輩とは、人間の出来がまるで違うのである。
 私はかつて、この山種が経営を立て直した女子校に勤めていた。質実とはこの学校のためにあることばであった。廊下のPタイルが割れると、色の統一などお構いなしに、そのときに在庫として抱えているか、最も安価で手に入る1枚を貼るのである。これがたび重なると、廊下はまるでモザイク模様を配したかのように独特の美しさを見せるようになったのだった。給与明細はこんなに薄い封筒があるのかと思えるような茶封筒に収められていたし、出張手当などが支給されるときの封筒は生徒の指導要録が出身校から提出されたときに使われたものの再利用だった。しかし、その給与も手当も、都内の私学の中で上から数えて何番目というような、たいへんな高額だったのである。
 私が在職中のあるとき、事務方が校内のトイレを改装したいと言い出した。改装には金がかかるが、センサーをつけて照明のコントロールをするので長期的には経済となるというのが根拠であった。この学校はなかなかに民主的な手続きというものを意識したところがあって、事務局は実際にトイレを使う生徒の希望を聞きたいと言った。彼らは、ボタンを押すと洋式便座を覆うビニールシートが自動で交換される装置を取り付けて生徒を喜ばそうとしたのだが、生徒の代表たちは事務長を前に口々に意見を述べて、これを堂々とはねのけた。曰く、「トイレを改装していただけるのはうれしいですが、その機械はもったいないと思います」「前の人が座ったことが気になるようなら、自分で紙で拭きます」「そういう機械は壊れやすいと思います」「ビニールシートを補充する人の手間を考えているのですか」「それよりも、和式の便器を増やした方が回転が早くなると思います」。
 私は、そういう生徒を育てた教員集団の一員であることが誇らしかった。そして、そこに「山種イズム」とでも呼ぶべきものが脈々と息づいていることが感じられて、なんだかとてもうれしかった。