こころが動かされるとき

 生田のキャンパス。リーディングの時間の教材として選んだものがあまりに易しすぎるので、後期は骨のあるものを投げ込むことにしたのだが、今度はちと難しすぎた。ただ、学生たちの様子を見ていると、難しいものに取り組んでいるときの方が、適度な緊張感もあるし、どこか楽しそうだった。気のせいではないと思うのだが。
 帰り道のクルマの中で、高校時代に国語を教えてくださったK先生のことを思い出した。ある日の「現代国語」の授業のとき、今日はこれでも読もうかと、小説の冒頭部のコピーをわら半紙の両面に刷って配ってくださったのだ。とにかく、ただめいめいに黙って読んだような気がする。宮本輝の「螢川」だった。読み始めれば最初の数ページなどというのはあっという間で、実にいいところで終わってしまう。どうにも続きが気になってしかたがない僕は、帰りに近所の書店で文庫本を買い求めて一気に読み切ったのだった。
 先生は、どんなねらいであのプリントを投げ込まれたのだろう。今になれば、二日酔いでもして話すのが面倒だったのかしらと思わないでもないが、あの頃はそんなことなど考えてもみなかった。ただ、先生の願いはどうあれ、1人の生徒がこころを動かされたことは事実である。そういえば今日も、先週配ったプリントについて、家であらためて読み直したら実におもしろかったと言ってくれた学生が1人いた。授業というものは、そういう意味で1対1の営みなのかも知れない。