ぐずぐずしている

 文部省『中等教育資料』第V巻第12号(東京:明治図書出版、1956年12月1日発行)に、その年に開催された「中等教育指導者養成講座」外国語科部会の報告が掲載されている。この講座は文部省の主催で、外国語科部会では英文法をテーマに中島文雄氏と石橋幸太郎氏の講義を聴いたようである。
 中島先生の講義に以下のようなことばを見つけてうなってしまった。

ことばは必ずしも論理的にのみ分析できるものではない。構造的意味がはっきりしない場合もある。しかも学校文法のうちには惰性でやっていて、当然改善すべきところがある。用語一つでも、新しいものを教科書で用いることはむずかしい。ことばはぐずぐずしているもので、一つの原理だけでかたづけられるものではない。

 誰の責任においてまとめられた文章なのかは不明だが、中島先生も目を通されたものと信じよう。ことばはぐずぐずしている。こんな表現に出会えるとは思わなかった。
 それにしても、ことばの選び方ばかりでなく漢字や仮名の使い方にも「戦後日本」の匂いを感じさせる、この書きぶりはどうだ。それは「主権在民」とか「民主教育」とかいったことばがいきいきと輝いていた頃の、逞しさと潔さに支えられた私たちの国の姿を映しているかのようだ。