奈津のお念珠

 ビデオに録っておいた『あんどーなつ』を見た。この月曜日(8月25日)に放送されたものだ。あらすじの一部を公式ウェブサイト*1より引用。

 奈津(貫地谷しほり)が浅草の老舗和菓子屋・満月堂の正式な一員となって3ヶ月が経った。女将の光子(風吹ジュン)は奈津に、故郷の福井に帰って両親の墓前と祖母にそのことをきちんと報告してくるよう促す。福井に戻った奈津は、祖母のたみ(風見章子)が入院している病院を訪れ、久々の再会を果たすのだった。

 両親の墓は市街を見下ろす公園墓地のようなところにある。美術さんが発泡スチロールでこしらえたと思われる墓石には「先祖代々之墓」とあり、周囲の墓石の多くに「南無阿弥陀仏」の六文字が刻まれている中で異彩を放っている。まあ、ドラマの演出上の装置としては「南無阿弥陀仏」は使いづらいところだろうか。墓石の側面には二つの法名が刻まれており、そのうちのひとつには「尼」の文字が含まれているから、両親の名が並べられているのだと推測できる。そして、ついでながら、奈津の家がお東の檀家であることも示されたことになる。
 この虚実の入り乱れた映像の中で、僕がほっとしたことのひとつは、奈津がお念珠を手にお墓に手を合わせたことだ*2。ドラマの演出を超えた本当の姿がそこにある。

 そもそも、この三四年のあいだにおいて、当山の念仏者の風情をみおよぶに、まことにもって他力の安心決定せしめたる分なし。そのゆえは、数珠の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。聖人、まったく、数珠をすてて仏をおがめとおおせられたることなし。(蓮如上人「御文」第二帖,『真宗聖典』p.783)

 曰く、お念珠を持たずにお参りすることは、仏さまを素手でつかむようなものだ。形だけではいけないが、形をおろそかにしてはいけない。このことに限らず大切なことだと思う。

*1:http://www.tbs.co.jp/ando-natsu/index-j.html

*2:お念珠のことは以前に気になって、ここに記した。http://d.hatena.ne.jp/riverson/20080804