歴史に自分を見るということ

 昨日の月例会の前に、現職教員の研修の講師として全国を飛び回っているT先生から聞いた話だが、現場の英語の先生たちは歴史の話を少しでもしようものなら急に「引いて」しまうのだそうだ。T先生は「アレルギーではないか」と言っていたが、なるほどそうかも知れない。みなさん、歴史の勉強には嫌な思い出でもあるのだろう。しかし、それにしたって、歴史にアレルギー反応を示す英語の教員が「なんで英語なんかやらなきゃならないの?」というアレルギーをもった生徒たちにどうやって向き合うのだろう。
 そういう僕も、受験のための歴史の勉強を楽しいと思ったことはなかったし、少しも真剣に取り組んだことはなかった。しかし、町の歴史や学校の歴史、それにひとりひとりの人物の歴史にはずっと興味を持ち続けていた。試験の年代暗記で点は取れなくても、自分の学校の創立の頃の話や昔の先生のエピソードは山ほど抱えていたのである。その意味では、今のようなかたちで英語教育の歴史を研究しようという考えを持つにいたったことは、僕にとっての必然だったのかも知れない。
 昨日の発表では、宮田幸一という昔の英語の先生がどんな人であったのかを話させてもらった。僕が教員になる年の3月に亡くなられたこの先生に直接お目にかかったことは一度もないのだが、中学だか高校の頃、父の書棚にあった『教壇の英文法』という本で一度出会い、東大の附属学校に職を奉じることになった縁で再び出会い、それ以来、ずっとこの先生のことを追いかけている。なかなかまとまったものを書くことができず、さまざまにご指導いただいている先生方には申し訳ない限りなのだが、もう10年近くもこの人のことを考え続けているわけで、そうすると、直接教えをいただいた先生のようにも感じられてくる。

 宮田が現代を生きる人だったら、どのような英語教師になっていただろう。例文を収集し続けた彼はコーパス研究に興味を示しただろうか。発信の手段としてブログを使おうと思っただろうか。(中略)宮田に限らず「昔の先生」は歴史の中に眠っているわけではない。それは、隣りの席の先生の姿であり、他ならぬ自分自身の姿である。(後略)

 昨日の発表資料の最後の段落に、こんなことを書いてみた。ちょっとかっこよすぎたかも知れないが。