東京に公害などなかった頃

 国立の大学の帰り、本郷の語学教育研究所に立ち寄る。久しぶりに事務室のFさんと談笑。この3月に定年を迎えられたが、相変わらずお若い。4月以降も引き続き、週に何度かは事務室に来てくださるとのこと。
 研究所から送られてくる「たより」の文字がこの前の号から見違えるほど鮮明になり、版下の製法でも変わったのかと思っていたので、ちょっとたずねてみた。やはり、リソグラフをパソコンとつないで直に版を作れるタイプに変えたとのこと。「そんなこと気付いてくれるのはあなただけよ」と言われたが、みなさんお気付きのことだろう。
 Fさんが東京・青山のお生まれとはうかがっていたが、港区立笄小学校のご出身とは知らなかった。笄小学校は以前勤めていた学校に近く、出願してくるお嬢さんも多かった。最初は「笄」の文字が読めなくて、ずいぶん難儀したものだ。
 笄町、霞町、材木町、少し離れて永坂町、狸穴町、飯倉町。いずれも麻布の古い町の名だが、なんだか歩いてみたくなる心地よい響きだ。今年もゴールデンウイーク好例の「東京の坂(あるいは町)ツアー」の日程が近付いてきた。今年はどこへ行こうかな。