恩師のご命日に

 昨日は、この日記を書いてからお寺の聞法会に出かけた。本堂でのお勤めでは久しぶりに導唱を務めたが、正面に座って阿弥陀さまを見上げると、後ろの方でお勤めしているときとは違って、なんだか包み込まれているような心持ちがして不思議だ。輪読会では、正信偈の「証歓喜地生安楽」の部分をめぐり、『真宗聖典』のページをあちらへこちらへ。ずいぶん頭を使ってお腹も空いた。その後、町へ繰り出して飲んだり食べたり居眠りしたり。先日来、お世話になったさまざまの方々のご命日を記した過去帳を持ちたいと思っていたのだが、そのことを住職に相談し、そうすることはおかしなことではないと言っていただいた。
 今日は、僕の過去帳にお名前を書かせていただく方のお一人である恩師・若林俊輔先生のご命日にあたる。先生がお浄土に還られてもう6年の歳月が流れた。仏教の流儀ならば七回忌をお勤めするのだが、そのようなことができないことは少し淋しくもある。
 その若林先生がずっと関わってこられた日本外国語教育改善協議会(改善協)の臨時大会に、今日は出かけた。2月に文部科学省から示された学習指導要領案に対してアピールをまとめるため、6つの外国語教育関係団体から30人弱が集まっての会議である。会場は渋谷の勤労福祉会館。9時半から4時半まで、なかなかハードな一日であった。
 会議の本筋からは少し離れるのだが、学習指導要領案の道徳教育に関わる部分に関し、自分の不勉強を思い知らされるところがあった。道徳教育の「内容」として「徳目」を掲げるのは、今回の案に始まったことではないことがわかったのである。会議の内容を踏まえ、帰宅してから調べ直したところ、学習指導要領に「道徳」が明記されるようになったのは1958(昭和33)年版からで、その時から「徳目」は掲げられていた。1989(平成元)年版でその内容に大きく手が加えられ、その後、微修正はあったものの、1998(平成10)年版を経て今回の案に引き継がれているのである。「外国語」の部分についてはずいぶん読み込んで議論も重ねて来たのだが、「道徳」に関してはどこか「他人ごと」として眺めていたのだと思う。教育の歴史に関わる研究をする身でありながら、なんとも恥ずかしい限りである。日を改めて「徳目」の項目立てと内容の変化を明らかにし、今回の案について問題とすべき点を整理し直したいと思っている。
 今日の会議では、僕があまり顔を出さなくなってしまったために久しくお目にかかっていなかった研究所のメンバーとも再会できて懐かしかったが、そのお一人にこの日記をご愛読いただいていると声をかけていただき、恐縮しきりであった。散らかりっぱなしの雑記ですが、どうぞご贔屓に願います。