12歳の冬、東京は雪

 東京は雪。その雪の中をクルマで出かける。数日前にかつての生徒から電話があり、お嬢さんの英語を見てもらいたいとのことで引き受けたのだ。それにしてもこんな天気になるとは。今、公立中学の2年生で、卒業までに英検(実用英語技能検定試験)の2級を取りたいのだそうだ。2時間ほど一緒に勉強してみて「カン」のいいお嬢さんだと思った。英検の2級を受けるにはまだ語彙も小さく文法も不足しているのだが、ある程度問題を解いてしまう。本人は「答え(正答の選択肢)がオーラを出している」と言うのだが、分析的に見れば、類推や統合の力があるので正答が見破れるのだろう。単語を「形」で覚えていると帰り際に聞かされたのも興味深かった。「これは象みたい」などと記憶していると言う。綴るときにはどうしているのだろうか。今度聞いてみることにしよう。
 この雪の中、都内のいくつもの中学校で入学試験が実施された。12歳の冬がこの寒さにこの雪では、たいへんだったろう。何日か前、この季節に入学試験を実施することの問題を畏友のU氏がブログに綴っておられたが、東京オリンピックの開会式を統計的に雨が降りそうにない10月10日にしたのだからセンター試験の日取りもそれに倣ってはいかがとの主張は、ユーモラスであり説得力に満ちていた。昨今、中学校の入試では、保健室での受験を認める学校も多くなっている。それだけ体調を崩しやすい時期に無理を強いているということだ。U氏は日経のコラムがその問題を取り上げていることも紹介しておられたが、そこには9月に新年度を始めるべきだとの主張が含まれていた。
 日本の学校も9月始業とすべきだという考えを持っている人は最近ではかなり多いと思う。僕も4月始業にこだわるべきではないと考える一人だが、その考えを最初に与えてくださったのは小川芳男先生だった。高校時代に読んだ『私はこうして英語を学んだ』 (1979, TBSブリタニカ)だったと記憶している。日経の「私の履歴書」に連載されたものをまとめた本だった。
 4月に新年度を始めたいとするのは、桜の花の咲く中で入学式を挙げさせたいという文部官僚の頑なな思いなのであって、中央集権そのものだと若林俊輔先生はたびたび言っておられた。桜が4月の初旬に咲く地域などごく一部であるにもかかわらず、入学式と聞けば桜の木の下での記念写真をイメージする日本人が多いのは、そういう形での教育が成果をあげてしまったと言うことだとも。なかなか奥が深い。
 僕自身、教育の現場に何年もいて4月始業が不都合だと思った理由のひとつは、いわゆるゴールデンウイークと夏休みが教育の連続性を妨げるということにある。新年度が始まって1か月足らずで連休があり、その後3か月もしないうちに1か月以上の長い休みに入るのでは、学習の習慣など身に付ける暇がないと思うのである。
 「欧米に倣って」というのはまっぴらなのだが、他にも、入試時期の是正、中央集権の否定、教育効果の増進と理由はさまざまあるのである。日本の学校も本格的に始業の時期を見直すべきだろう。雪で電車が遅れ受験生が試験に間に合わなかったなどというニュースを「季節ネタ」にしているような報道機関は、そういうニュースを垂れ流さなくても済むように一大キャンペーンを張れと言いたい。