読み返したのか

 尻に火がつかないと動き出せない。実に困ったことである。今日が締め切りの仕事は、午前中の空き時間に取り掛かり、持ち帰って続け、23時過ぎになんとかメールで送ることができた。
 ここに書くような雑文でも、自分の書いたものは愛おしい。だから、ときどき読み返す。そして、言い回しの気になるところにはこっそりと手を入れてみたりする。宮田幸一先生を引き合いに出すのも申し訳ないが、テキストを確定するというのは実に難しいことなのである。
 そういうことを考えると、日本語としてどうなのかと思われるような文章を「論文」などと称している人の気持ちが理解できないのである。今日読んだものは、誤字・脱字などはかわいい方で、用字・用語はまるで整理されていないし、主述の関係もひどく乱れていた。
 何が伝えたいのか。何のために書いたのか。そういう大きな問いかけの前に、どうしても気になってしまうことがある。読み返したのか。私が明らかにしておきたいのはそのことである。