八百屋舞台

 夕刻、今日も所属寺に出向き、報恩講の進行等について打ち合わせる。思いや願いをきちんと形にすることの難しさをあらためて感じる。手探りの部分もあるが、不変の願いに貫かれていることに励まされて諸々のことを進める以外にない。人手不足は如何ともし難いが、流れを捉えて二役でも三役でもこなすことだ。
 早めに帰って見たスカイステージから、「八百屋舞台」という耳慣れぬことばが聞こえてきたもので、さっそく調べてみる。傾斜している舞台を、青果店の店頭にある陳列台になぞらえてこう呼ぶのだそうだ。落語でよく「符丁で言ってもらっちゃ困るよ」なんと言うが、そのような気分。
 私たちも「お逮夜は真四句目下ですよ」とか「晨朝で上がる御文は何でしたっけ」とか「日中は三淘の三首引で」とか、初めて聞く人にはおよそわからぬ口をきくようになっているわけで、こういうことばづかいがおかしな隔たりをつくるようではいけないと思う。ただ、ではどのように言えばよいのかと考えてみると、それはそれでなかなかに難しい。