モノサシ

 どんなものであれ、評価するというのはたいへんなことだ。論文を審査するなど、どうにも恐れ多くてならない。なんとか締め切りに間に合わせようと、それこそ泣きながら務めを果たす。
 インターネットはさまざまの「評価」であふれていて、飲食店の「口コミ」などはよく利用するけれど、中には首をひねらずにいられないものもある。
 例えば、5点満点という定めのあるサイトで自分の最高点は3点だと言い張るというのはどういうことか。例えば、「煮込み」が評判の居酒屋を「生まれて初めて煮込みを食べました」と言いながら採点するというのはどういうことか。例えば、カウンターの向こうで黙々と仕事をする主人について「おしゃべりしながら呑むのが好き」と言って評価するというのはどういうことか。
 その昔、「○×試験で人間が評価できますか」と言った総理大臣がいたけれど、では主観評価という名の印象批評の何を信じたらよいと言うのか。ある意味(あくまでも「ある意味」においてだが)、○×試験こそが人類の叡智の結晶ではないのか。
 わずか1題の○×試験で人生が決められるとしたら、私も必死で抵抗するけれど、○×試験を1万題も出されたら従わざるを得ないような気がする。ゴールまでに何十回もチャンスがあって、そのうちのいちばんよかった点数で評価してあげるよと言われたら、やはり従う以外に道がないと思う。