床の間と仏壇

 昨日の御正忌、お内仏のことなどを考えながら知人・友人のブログなどを読んでいたのだが、そのうちにひょんなことから畏友の3年も前のエントリーに行き当たった。
 そこには、斎藤兆史氏が『翻訳の作法』(東京大学出版会,2007年)の中で北海道の「床の間」と「仏壇」のある部屋で客をもてなすことの違和感に言及していることに驚いたとのことが書かれていた。床の間と仏壇が共存していることに何の違和も感じない自分としては、どのようなことが書かれていたのかが大いに気になり、未読だった『翻訳の作法』をさっそく入手し、今さらながらその部分を読んでみた。
 この話の元は、同氏の『英語の教え方学び方』(東京大学出版会,2003年)にあるようなので、それも読んでみたいとは思うのだが、とりあえず『翻訳の作法』によれば、斎藤氏がある本における日本家屋の描写を問題にし「床の間」と「仏壇」のある「応接間」で賓客をもてなすことの不自然さを論じたところ、北海道の何人かの大学院生から「床の間」と「仏壇」が共存していることのどこがおかしいのかと質問され、答えに窮してしまったということのようだ。
 この際、斎藤氏の冷静さを評価しておきたいと思うのは、以下の部分。

…私が日本文化だと思っていたのは、あくまで私が知っている地方、あるいは訪れたことのある地方の文化に過ぎないのです(『翻訳の作法』p.125)

 それはそうだ。ただ、文化が「地方」によって異なるものとしか認識できていない点において、この「自戒」のことばもまだまだ甘いように感じられてしまう。
 北海道の何人かの大学院生たちが床の間と仏壇が共存することに違和感を覚えなかったのは、その人たちが真宗の家に生まれ育ったということと無縁ではないような気がする。その大学院生たちに「ご宗旨はどちら」と尋ねてもらえていたならと思う。
 どうやら、床の間と仏壇を共存させないという人たちの心の根には、床の間は「神様の場所」だなどという考えがあるようなのだが、これは「もの忌み嫌わず」の門徒にはとうてい無縁のことだ。門徒にとっては、床の間に「南無阿弥陀仏」の六字名号やその他のお聖教のことばのお軸を掛けることもごくごく当たり前のことである。
 先日、北海道は秩父別のお寺の「寺史」のことを書いた*1が、あらためてご門徒の写真を見てみると、床の間のとなりにお内仏を安置しているお宅がほとんどだった。けれど、その一方において、北海道にも床の間と仏壇の共存を好まない家があるかも知れない。北海道のすべてのお宅の床の間と仏壇を調べたわけではないけれど。
 つまりはこういうこと。文化が地方によって大きく異なるということに一定の正しさは認めよう。しかし、地域差という切り口以外のものによって浮かび上がってくる文化の差違というものもまた存在するはず。そういう視点を持っていたいものだと思う。

*1:http://d.hatena.ne.jp/riverson/20100612