身の引き締まった思い

 NHK総合テレビ午後の「スタジオパークからこんにちは」を録画。帰宅後、毛利和雄解説委員が明石小学校の校舎解体問題について語るのを聴いた。長年にわたり文化財保護について発信して来られた方とあって、短時間ながらわかりやすく深みのある解説だった。
 昨日書いたピアノもそうだが、ものの価値というものはそれを活用する者によって決まり高まる。今日の解説を聴きながら、古書のことを思っていた。古本屋ではなく古道具屋の片隅、一束いくらという安値で積み重ねられた紙の束の中に昔の教科書や帳面は眠っている。和歌山のE先生は、その中から何冊もの昔の教科書を集めたと聞く。古道具屋にとっては紙くず同然であっても、研究者にとっては第一級の資料がそこにあったのである。
 ひるがえって「復興小学校」の校舎はどうか。この校舎に価値の見出せなかった人々の目には、さぞかし古ぼけてみすぼらしいものと映ったことだろう。行政の人たちにとって校舎は「ハコモノ」のひとつに過ぎないのだろうし、利権と表裏一体の経済至上主義を超える発想は持ち得ないのであろう。
 今日、中央区のウェブサイトに区長名で「明石小学校をはじめとする復興小学校の改築問題について」という文書がアップロードされた*1。前文のあとには以下のようにある。

 明石小学校は、大正15年建築のいわゆる復興小学校であります。このたび、社団法人日本建築学会から重要文化財にふさわしい条件を備えていると評価されましたことは、首都東京の核としての役割を担ってきた本区の歴史、文化を含めて評価していただいたものと受け止めており、その建築的価値に着目したご意見はできる限り尊重してまいります。
 学校は、次の時代を担う子どもたちを育てる教育の拠点であることは言うまでもありません。同時に地域の核であり、心の支えであり、シンボルであります。
 それだけに、震災後の困難な状況の中で未来の子どもたちのために立派な校舎を建設された大正時代の先人の高い志、すなわち、子どもたちの教育環境を何よりも大事にするという精神をしっかりと引き継いでいかなければならないと、その責務の重さにあらためて身の引き締まる思いであります。

 身の引き締まった思いの区は、校舎を残すことに決めたのか。一瞬、そのような期待も抱かせるのだが、区長名の文書は以下のように続く。

 …明石小学校につきましては中央小学校や明正小学校とともに現在の改築計画を進めさせていただき、未来にわたり一段と誇りうる学校として再生してまいりたいと存じます。

 結局はかねて予定の通り解体するという行政の人たちの「作文力」に感服する。しかし大切なのはそのような力ではないことは明らかだ。自作の文書の中にある「未来にわたり一段と誇りうる学校」とは何か。それを正しく具現する力こそが求められている。

*1:http://www.city.chuo.lg.jp/kyouikuiinkai/kyosyomu_20100820223602337/index.html