Gestetner

 吉祥寺で3コマのあと上野原に移動して2コマ、そして八王子に泊まるというパタンにもだいぶ慣れてきた。何より、宿にこもって一人で仕事のできることがありがたい。会員台帳をようやく更新。これで会員名簿が出力できる。明日はリソグラフ、いやデュプロと格闘するぞ。
 デュプロを外国のメーカーと思っている人も多いようだが、あそこはれっきとした日本の企業だ。近年、アジア原紙をグループ企業に迎えたらしい。アジア原紙というのはタイプ原紙、ボールペン原紙、ファクス原紙などを作っていた会社。ここのウェブサイトに行くと、昭和を感じさせる見事なロゴタイプが見られるので、印刷の好きな人は一度訪ねておいた方がよいと思う。
 振り返ってみれば、小さな頃から謄写印刷が大好きだったのだ。父の塾にはホリイの謄写器があった。あれは捨ててしまったのだったか。今思えばもったいないことだ。
 中学に上がった頃は、さすがにもう手でローラーをゴロリとやる時代ではなくなっていた。けれど、1年生のときにはいわゆるガリ版を使った。あの頃いちばん欲しかったものはガリ版用のヤスリと鉄筆のセットだった。鉄筆は何本か持っていたけれど、ルレットや剣型やバチ型には本当に憧れたものだ。そういえば、茶色の修整液はなんだかいい匂いがした。
 2年生になると、ボールペン原紙を跳び越えてファクスを使うようになった。このファクスというのも、最近の人にはまるで通じないと思う。ドラムにセットした手書きの原稿を光で読み取り、その影の部分を、同じドラムの右側に巻きつけてある原紙に電気を使って針で焼いていくというものすごい仕組みの製版機だった。嫌な臭いがしたし、版を作るのにもひどく時間がかかったけれど、ガリを切る技術はいらないのだから便利なものではあった。
 中学校の印刷室にはホリイの印刷機が3台あり、1台は電動だったが2台は手回し式だった。2年生のときだったと思うが、ある日、印刷室に行くと不思議な形をした機械が1台増えていた。さっそく使わせてもらい、その速さにとにかく驚いた。ゲステットナーという名を覚えたのはそのときだ。技術者にして企業家であった英国人の名前らしい。今でも、印刷機といえばゲステットナーとなんとなく信じている。