そのかごを水につけよ

 報恩講は8時からの晨朝のお勤めに続き、11時からの日中法要をもって御満座。うかがうべきところの多いご法話だったが、終わりの方で引かれた蓮如上人のことばに大きく心が動いた。何度も聞いていることばであり、実際、帰って『真宗聖典』を開いたら傍線も施してあったのだが、今日の私にはこのことばが響いたということなのだと思う。

一 人の、こころえのとおり、申されけるに、「わがこころは、ただ、かごに水を入れ候うように、仏法の御座敷にては、ありがたくもとうとくも存じ候うが、やがて、もとの心中になされ候う」と、申され候う所に、前々住上人、仰せられ候う。「そのかごを水につけよ」と、わが身をばほうにひてておくべきよし、仰せられ候う。万事、信なきによりてわろきなり。善知識の、わろきと、仰せらるるは、信のなきことをくせごとと、仰せられ候う事に候う。
(「蓮如上人御一代記聞書」より。テキストは東本願寺出版部『真宗聖典』による)

 お斎をいただき、後片付けもすませたあと、庫裏の玄関先でひとり一服していたら、満ち足りた思いのうちに寂しさがこみあげてくるのを感じた。厳かで賑やかな報恩講の一昼夜、今年はここに結願する。