罰としての掃除当番を考える

 以前、新制高等学校の「入学試験」に英語が導入された経緯について調べ始めたときには『中等教育資料』という雑誌にずいぶんお世話になった。この雑誌は多くの図書館が所蔵してはいるのだが、初期のものには欠号が少なくなく、破損を防ぐために閲覧禁止の指定を受けていたりもして、全冊に目を通すことはなかなか難しい。私もあちこち出向いては読んだものだった。
 東書文庫だったと思う。その第VI巻9号を読んでいると、入試とも英語とも関わりのないページが気になって手が止まった。そこには、当時の法務府が1949年8月2日付けで出した通達「生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得」があった。第6項には次のようにある。

遅刻や怠けたことによって掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。

 これは、当時の学校教育法が第11条で以下のように定めていたのを受けての通達である。

校長及び教員は、教育上必要があると認められるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒および児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。*1

 先の通達では何に遅刻し何を怠けたことを想定しているのかがよくわからないのだが、いずれにしても、掃除当番は「体罰」にあたらない「懲戒」の方法として用いてかまわないと言っているのである。いわば、掃除当番は法務府からお墨付きをいただいた、れっきとした「罰」のひとつということになる。
 ここで考えなければならないのは、掃除当番を「罰」として認めるということは、ひとり法務府のみが考えたことではないだろうということだ。ここは、掃除当番が「罰」であるという国民的な意識がそれまでに形成されていたと見るべきなのであろう。
 さて、掃除当番は、いつ頃、どのような経緯で「罰」となったのか。どなたかご存じの方はいらっしゃらないだろうか。

*1:現在の条文は次の通り。「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」