手いっぱいに申せよ

 高尾で3コマ。2年生のクラスでは、聴覚に障害を持つ人が「手話落語家」としてデビューしたとの英字新聞の記事を読んだ。落語と聞いてもピンと来ないのだろうなと思い、たずねてみると、やはり落語を実際に「見た」ことがあるという学生は1人もいなかった。読むということ、そして読んだことを理解するということは、実際難しいことなのだと感じる。
 この私、以前勤めていた女子校では落語研究部の一員として文化祭のたびに高座に上がっていた。4年間で3つの噺を高座に掛けたが、思い返せば「たらちね」が2回に「千両みかん」と「火焔太鼓」が1回ずつ。「火焔太鼓」だなんて、よくもまあ大きな噺を掛けたものだと、今さらながら顔から火の出る思いがするが、着物姿で校内をウロウロした日々はむやみに懐かしい。
 クラブの顧問は2人までという規定にしたがい、私は「名誉部員」にしてもらって、高座名は「菊乃家めうが(きくのや=みょうが)」を名乗った。上手くもないから「聞くのをやめようか」というので生徒たちが付けてくれた名前だった。ずいぶん粋な生徒がいたものだ。「聞くのを野次ろう」ということで「菊乃家次郎(きくのや=じろう)」という名も候補に挙がったのだが、「菊」で「ジロウ」ではあんまりではないかと2人の顧問教員が言うので没になった。
 その2人の高座名は「校亭一周(こうてい=いっしゅう)」と「恥家上塗(はじや=うわぬり)」。生徒たちは「笑津亭紅(わらってい=くれない)」とか「笑津亭美妖(わらってい=みよう)」などという名前で高座に上がっていた。その中に1人、私の直弟子になりたいという風変わりな生徒がいて、「みょうが」の弟子なら「しょうが」だろうというので「菊乃家しやうが」を名乗ることになったのだった。
 今日の授業では雑談に自分の高座名のあたりまで話したのだが、帰りがけに声をかけてきた学生が1人。
 「先生、『めうが』ってどう読むんですか」
 「こりゃあ『みょうが』と読むんだよ。『みょうが』の弟子には『しょうが』ってのもいたんだが」
 「へえ。じゃ、あたしは『紅しょうが』がいいっす」
 「そりゃいいが、あたしの稽古は厳しいよ」
 「えへ。『みょうが先生』、よろしくお願いします。」
 「いやいや、そこは『みょうが師匠』とおっしゃいな」
 必要以上にノリのいい学生に出会い、実に10数年ぶりに菊乃家一門が復活を見たというお話。