優しく強かった人たち

 土佐文雄『人間の骨』(1974、東邦出版社)を落手し読了。槇村浩こと吉田豊道と同じ時代に生まれていたら、どんな生き方を選んでいただろう。どのように生きることができていただろう。
 ふと、「非転向詩人」という存在は今の人たちにどれほどのリアリティをもって受けとめられうるのだろうかと考えてみる。そして、ずいぶん前に『獄中から:心優しき革命家・市川正一書簡集』(1995、新日本出版社)を読んでもらいたくて貸した人に、ほとんど手をつけずに返されたことをわずかの苦さとともに思い出す。
 僕に『人間の骨』を貸してくださったK先生は、3つめの職場の英語の先生で、長身痩躯、白髪の紳士だった。僕の槇村に関する知識は『別冊太陽:近代文学百人(日本のこころ11 )』(1970、平凡社)で手に入れた程度のもので、そこに「まきむらひろし」とあったからそう覚えていたのだが、K先生はそれを「まきむらこう」と優しく訂正したあとで「槇村浩を知っている若い人に遇えるとは思わなかった」とずいぶん喜んでくださり、翌日、茶封筒に入れた『人間の骨』を黙って私の席まで持って来てくださった。そうそう、僕に「カナモジカイ」のタイプライターを譲ってくださったのもこの方だった。
 僕は今に至るまで、この方ほどもの静かで、しかも旗幟を鮮明にした英語教師を知らない。今もお元気なのだろうか。奇跡のように再会することはかなわないだろうか。