ことばは慎重に選びたい

 テレビをつけて、音だけを聞きながら仕事をしていると、そのことばが気になってしまうことがときどきある。今朝の情報番組がそうだった。
 東京中央郵便局の高層化計画が一部見直されたことについて取り上げたコーナーに登場したのは、元役人で現在はある私立大学で教授職にあるという人。コメントを求められると、「(旧局舎の保存部分を増やしたとしても)それは大きなシュウニュウゲンにはならないと思います」と一言。
 うっかり「大きな収入源にはならない」という話だと思って聞き始めたのだが、ちょっと様子がおかしい。どうやら「大きな収入減にはならない」ということらしいのだ。まあ、郵政「民営化」のシナリオを書いたという人だから、当然そうおっしゃるわね。
 しかし、それにしたって、この聞きづらさはなんだろう。ここはせめて「それは大幅なシュウニュウゲンにはならないと思います」とか「それは大きなシュウニュウゲンにはつながらないと思います」と言うべきではなかったか。「それは大きなシュウニュウゲンにはならないと思います」という表現によく似ているけれど、わずかな工夫でかなりすっきりするはずだ。
 ただ、問題は「シュウニュウゲン」ということばそのものにもあるわけだ。このことばを避けて「それで収入が大きく減るとは考えられません」とか「そうしたとしても収入を大きく減らすことにはならないと思います」などと言ってみるとよいとも思うが、どうだろう。
 この教授氏、普段の授業ではきっとスクリーンにプレゼンテーション・ソフトの画面を映し出しながら講義していらっしゃるのだろう。あるいはハンドアウトを配っていらっしゃるか。目に訴えるものがあると、どうしてもことばの選び方が甘くなる。
 ことばは慎重に選びたいと思う。耳だけを頼りに情報を得ている人のことなどを思えば、なおさらのことである。